Carry On my way ~The Other Side of "note"~

主に女性アイドルの事を超不定期に徒然なるままに記すブログ

極私的ファン論〜2009夏〜

このブログに“再起動”をかけてから、少しばかり日にちが経ちました。


当初目標にしていた「こまめな更新」が全く出来ていないのですが、
それでも、何とか週1回は更新できるようになって、感覚を少し取り戻してきましたので、
改めて、この手のエントリーを書いてみようと思います。


私は、モーニング娘。を初めとする、Hello!Projectハロプロ)に属するユニットや歌い手の方々、
そして、今年3月までハロプロに属していた歌い手の方々、
更には、ハロプロとは全く関係が無いユニットや歌い手の方々など、
応援する対象を実に多く持っていて、大なり小なり、“ファン”としての活動をしています。


この“ファン”という言葉、辞書で調べると「芸能人やスポーツチームの熱心な支持者」
という定義になっているのですが、その支持者の中には、当然の事ながら、
良識的・常識的な人がいる一方で、悲しいかな、利己的で非常識な人もいるわけです。


そして、更に悲しいことに、そういう集団の中で必ず目に付くのは、
一部の後者の人間が引き起こす非常識な行動で、
そんな一部の不良分子のせいで、“ファン”全員が色眼鏡で見られ、
更には、応援している人やチームまでもが、周囲からは色眼鏡で見られてしまうという、
負の連鎖反応を引き起こしてしまうのです。


ですので、私の個人的な“ファン”の定義は、もう少し厳しいものにしています。


私の個人的な定義では、“ファン”とは次のような事が出来る人々の事を言います。

  1. 好きな相手(芸能人・スポーツ選手・チーム等)の事を一生懸命応援・サポートする。
  2. もし、応援の対象がグループ・ユニット・チームならば、“一推し”以外のメンバーも応援・サポートする。
  3. 自分の行動に責任を持ち、その行動が、周囲の人々や、応援している相手に及ぼす影響を考えられる。
  4. 周囲で問題行動を引き起こしている人を見かけたら、相手を“本当の仲間”として注意する事が出来る。
  5. “客席側”で起こった問題は“客席側”で逆に問題提起し解決への道筋を付けられる。いわば、コミュニティの中で「自浄能力」が作用する。


私は最近、生のスポーツ観戦に出掛けていないので、芸能関係の現場オンリーの話になってしまいますが、
色々な“現場”に足を運んだり、ネットを通じてコミュニティを観察していく中で
歴史(活動年数)が浅いにも関わらず、成熟したコミュニティが形成されている場所がある一方で、
歴史がそれなりに長いにも関わらず、コミュニティが未だに義務教育レベルという場所もあります。


相手のことが好きで応援しているから“ファン”?
そんなものは基本中の基本、イロハのイ。当たり前も当たり前すぎる事。
自分だけが一方的に楽しみを享受するだけではなく、限界はあれども、
応援している相手が活動しやすいように、可能な限り環境整備をするのも、
ファンとしては「当然の役目」であり、
極端な事を言えば「人間として当然の行動」なのではないでしょうか?


ここ最近、そんな思いを再び強く持ち始めています。