Carry On my way ~The Other Side of "note"~

主に女性アイドルの事を超不定期に徒然なるままに記すブログ

こんなテレビを見た〜『独占生中継!裕次郎二十三回忌法要 in 国立競技場』

今日、15時30分から約2時間放送されていたこの番組を、断片的ながら見ていました。

ここのところ、休みの日にテレビ朝日を見ていると、
今は亡き石原裕次郎さんが出演していた『西部警察』の再放送をしていたり、
昨日は21時から、初のテレビ放送という『富士山頂』という映画を放送していたりと、*1
今日営まれている、裕次郎さんの二十三回忌法要に向けて、
テレビ朝日を挙げての、いわば“石原裕次郎祭り”を展開していたわけですが、
ついに今日、その“お祭り”のクライマックスを迎えた、というところでしょうか。


それにしましても、「二十三回忌法要」と「国立競技場」という、
どう考えても似つかわしくない、そして、結びつかない単語が、
頭に「裕次郎」という固有名詞が付くだけで、違和感が薄くなってしまうのは、
昭和の大スター:石原裕次郎さんだからこそ成せる技、なのかもしれません。


今回の二十三回忌法要は、これまでも各メディアで報じられている通り、
あの、国立競技場のフィールド内(厳密にはトラックのバックストレート部分)に、
裕次郎さんが眠る、横浜の総持寺の本堂を模した『裕次郎寺』を設営し、
更にはそのお寺に、総持寺から本物のお釈迦様を運び入れた上で、
総持寺から僧侶の方々を招いて実際に法要を営み、ファンの方々にも献花をして貰おうというもの。
更には、事前の申し込み抽選に当選した、50,000名の方には、
特製メモリアルブックと特製焼酎を、なんと無料で、現地で引き渡すという大盤振る舞いぶり。
メモリアルブックも焼酎も、ちゃんと売り物にすれば、それなりに売れる筈なのですが、
そこは大スターらしい、プレゼントという名の「心意気」なのでしょう。


かつて、本当の総持寺で営まれた法要の際には、ファンの方が多数詰めかけて、
周辺住民の方や警備・警察関係に多大な迷惑を掛けた事への反省、という、
極めて現実的な問題への対処策、という意味合いもあるようですが、
法要の会場を、あの国立競技場に設定するという発想は、私のような凡人にはとても出来ません。
それにここは、ライブ開催に漕ぎ着けたアーティストだって、ほんの数組というような、
考えようによっては、東京ドームや日本武道館などとは比べものにならない、
芸能関係者にとっては“究極の聖地”とも言えるかもしれない会場なのです。


国立競技場という会場、その中に設営されるお寺、幾人もの僧侶を招いて営まれる法要、
そこを訪れるファンの方々、更にその中から選ばれた方々に渡されるプレゼント・・・
・・・とにかく、こんかいの法要に係わる、あらゆる物事のスケールが“桁違い”。
何度も繰り返しますが、これこそ、大スター:石原裕次郎さんだからこそ成せる技、
そして、“お祭り大好き”な石原プロモーションだからこそ成せる技、と言えるでしょう。


さて、テレビ放送の中では、午前中に営まれた法要の模様が放映されていましたが、
先程も書いた、わざわざ横浜の総持寺から招いた、何人もの僧侶の方々が、
メインスタンド下から登場し、ピッチ上に設けられた通路を通って、
逆サイド(バックストレート側)の「裕次郎寺」へ向かって、2列で歩みを進める様は、
まるで、サッカーの聖地:国立競技場で、試合に向かう選手さながら。
ただ、サッカー選手と決定的に違うのは、“チーム”の平均年齢が圧倒的に高いことと、
身につけている着衣が、ユニフォームではなく“僧衣”だということ、でしょうか。


そして、競技場のスタンド席は、「裕次郎寺」が設営されたバックストレート部分を除いて、
法要の模様を見守るために、多くのサポーター、もとい、多くのファンの方々が埋め尽くし、
没後22年が経った今でも、裕次郎さんの人気が衰えていない事を証明してくれていました。
法要が終わった後に、渡哲也さんの音頭で何回か唱和された「裕ちゃん」コールは、
ここでのライブを実現させた、ほんの数組のアーティストに掛けられる歓声や、
本当のサッカーの試合に駆けつけたサポーターが発する声にも負けず劣らずのものでした。


ただ、もしもこの光景を、サッカー関係者や陸上競技関係者が偶然見ていたとすると、
その心の内は、決して穏やかなものではなかったことでしょう。
だって、陸上競技大会や高校サッカーの試合よりは、確実にスタンド席は埋まっていましたし、
下手をすると、あまり人気が無いJリーグチームの試合よりも、スタンド席は埋まっていたのですから。


そういえば、石原裕次郎さんのお兄様である、東京都知事石原慎太郎さんは、
昨日の夜に放送されていたテレビ番組の中で・・・
「ちょっと、やり過ぎなんじゃないの?」
「俺が死んでも、絶対にあんな事はしないでくれよ。」
・・・と、苦笑いをしながら、ご子息の石原良純さんに語っていたそうです。


確かに、いくら、石原裕次郎というスターのものとはいえ、
多くのお金と人手を掛けてまで、二十三回忌法要をイベント化する必要があるのか?
という声が出てくるのは、現在の経済情勢を考えると、ある意味当然の事だと思います。
でも、同じ多額のお金を使うのでも、人々の心の中に残るイベントに使うのと、
死に体の銀行に税金をドブに捨てるが如く投入するのとでは、
どちらがより意義があるか、そして、どちらが“生きたお金の使い方”をしているか、
ほんの少し考えれば、その答えは明確に出てくる筈です。


少し前に流れていたテレビCMではありませんが、それこそ「モノより思い出」ですよね。


ちなみに、放送によると、今回の法要で国立競技場を押さえたのは10日間。
この間に、重機搬入の為の養生、「裕次郎寺」の組み立て*2、お釈迦様の迎え入れ、
そして、今日の法要が終わったら、その逆の作業を行うらしいです。
う〜ん、「モノより思い出」とは言え、やっぱり少しばかり贅沢な“お祭り”なのかも・・・。

*1:生前の石原裕次郎さんの、映画は映画館で見て貰いたいという思いを尊重して、これまでテレビ放送はおろか、ビデオ・DVD等のソフト化もされていなかったそうです。

*2:瓦の素材は、丈夫で加工しやすい発泡スチロールとのことです。