Carry On my way ~The Other Side of "note"~

主に女性アイドルの事を超不定期に徒然なるままに記すブログ

fuzz maniax 雑感 extra①〜応援するということ〜

昨日のライブで久しぶりに、一青窈さんの生の歌に触れたことで、
“アーティストを応援する”とはどういう事なのかを、改めて見つめ直すことが出来ました。


最近、彼女のプライベートに関わる報道が、週刊誌やスポーツ紙に載って、
しかもそれが、社会通念上、あまり歓迎されない事かもしれない、ということもあって、
この日記にこそ書きませんでしたが、正直なところ、心穏やかではなかったんですよ。


でも、昨日のライブでは、そんな事は全く関係ありませんでした。
純粋に窈ちゃんの歌に耳を傾けて、パフォーマンスを楽しみ、
MCで発せられた言葉を心で受け止めている私がいました。


あくまでも私の場合はですが、彼女のファンである以上、
彼女が取り上げられた報道の内容が気にならないと言ったら、それは嘘になります。
でも、私が彼女のファンになったきっかけは、デビュー曲『もらい泣き』の頃、
彼女が紡ぎ出す詞や、それを歌として表現する姿をテレビで観て興味を持った事で、
そのまま、彼女のアーティストとしての魅力に惹かれて、今までファンを続けています。
要は、一青窈という女性を“疑似恋愛”の対象としてではなく、
今流行りの格好良い言葉を使うと、アーティストとして“リスペクト”している、
とでもいうような、そんな感情を彼女に対して持っているんですよね。
だから、周囲(と言うよりもマスコミ)が発する“雑音”は完全に忘れて、
純粋に彼女の歌を楽しむことが出来たんだろうと、そう思うのです。


例え周囲(と言うよりもマスコミ)*1がいくら“雑音”を発しようとも、
窈ちゃんが言葉を紡いで、それを歌として我々に届け続けてくれる限り、
私は一青窈というアーティストを好きでい続けるでしょうし、応援し続けていくつもりです。


この日記に何かのきっかけで辿り着かれた方で、ある特定の歌手の事が好きな方へ。
もし、その歌い手さんを“疑似恋愛”の対象としていて、
恋愛感情、或いは、それに近い感情を抱いているのでしたら、
例え、すぐに“疑似恋愛”の対象に戻ってもいいですから、
一度その歌い手さんを“表現者”として見てみては如何でしょうか?
確約は出来ませんが、その歌い手さんの新たな魅力を発見できるかもしれませんし、
その歌い手さんへの自らの思いを見つめ直すことが出来るかもしれませんよ。
勿論、その後どのように自らの身を振るかは、皆さんの自由ですが・・・。

*1:しつこい表現で申し訳ありません。