Carry On my way ~The Other Side of "note"~

主に女性アイドルの事を超不定期に徒然なるままに記すブログ

いきなり今日の独り言〜憤怒の長文モード〜

昨日から今日にかけて、様々なブログを目にして思ったことを、
今回はとにかく、思いついたまま書かせていただきたいと思います。
その為、文章がいつも以上に見苦しいかもしれませんが、ご容赦を。


ちなみに、タイトルにある“憤怒”は、
皆さんが憤りを覚えている対象に対するものではなく、
そんな皆さん自身に対する私の感情ですので、誤解無きように。


その前に、今回のジュンジュンさん&リンリンさんのモーニング娘。加入は、
昨日の日記にも書いた通り、個人的には全面的に“アリ”だと思います。
確かに、これまでのように、公開オーディションという形を取っておらず、
加入発表も唐突だった為、“密室の中で決められた”感は否めませんが、
突然の加入という意味では、ミキティの加入も似たようなものだったのでは?
元々、モーニング娘。のオーディションを受けて落選したとか、
加入以前にハロプロの一員として、ソロ活動をしていたという違いはありますが、
それ以外は、今回のケースと大差が無いように思うのは、私だけなのでしょうか?


私はモーニング娘。というグループは、
次のステップへ進むための“学校”のような存在として捉えているので、
今回加入する2人のような“留学生”がいても、何ら問題は無いと思っています。
モーニング娘。加入を経て、この2人がどのような道を歩むのか、
私は“界隈”の皆さんのような、未来を見通す力は持ち合わせていませんので、
どのようになるか分かりませんし、分からない以上は書くことも出来ません。
しかし少なくとも、国籍が違うメンバーが加入するというだけでも、
現在のモーニング娘。には大きな刺激になる筈ですし、
ジュンジュンさんは、本国の有名なオーディション番組で、
それなりの成績も上げているようですので、歌の面でもプラスになるはずです。


昨日の日記で、コミュニケーションの事についても少し触れましたが、
2人とも本格的に表だって活動をするまでには、
完璧とは行かないまでも、それなりに日本語は覚えるでしょうし、
最悪の場合は、ボディーランゲージでも何でも良いから、
コミュニケーションを取るように、現メンバーも新メンバーも努力するでしょう。
逆に、もしそれが出来ないとなると・・・厳しいことを言うようですが、
残念ながらモーニング娘。は「その程度のグループだった」ということになるのかなと・・・。


再び加入の経緯についての話に戻ると・・・
私もモーニング娘。のファンになって長いですが、
この界隈の方々の多くが、メンバー加入の“プロセス”というものを、
非常に重んじておられることを、今回の“騒ぎ”を通して初めて知りました。
何せ私は、これまでの長いファン生活の中でも、
幾度となく行われてきたオーディションの模様を、まともに見たことが無く、
最終選考段階になってから、ようやく誰が残ったのかを把握するという有様ですので、
この界隈の方々にとって、選考過程が如何に重要な意味を持つのかを知らなかったのです。


確かにどのような物事でも“プロセス”は大切な事に間違いはありません。
私も仕事で、“プロセス”が一切残されていない成果物を追う羽目になると、
本当に泣きたくなるくらいに苦しくて、辛いですからね・・・。
閑話休題。確かにプロセスは大事ではありますが、それが全てなのですか?
皆さんにとってモーニング娘。って、
そういう“サイドストーリー”的な物を心の中に持たないと、
熱くなることが出来ない存在なのでしょうか?
新しいメンバーが加入するに至る“プロセス”に興味を示さず、
ただ単純に、歌やコンサート等のステージでのパフォーマンスが好きで、
もう7年近くもモーニング娘。を追いかけている私が異端なだけなのかな?


私はファン活動においては、シングル曲・アルバム曲の積み重ねや、
コンサート等のステージの積み重ねといった“プロセス”はともかくとして、
そこへ至る以前、即ちオーディション段階での“プロセス”には興味がありません。
CDとして発売される曲や、ステージといった“成果物”が何より重要なはずだから。


只でさえもまとまりが無い文章の最後に、
更にまとまりを無くす言葉をいくつか残しておきます。

  • “対案”が無い反対意見は、単なる“クレーム”に他なりません。
  • 私の基本的な考え方は「来る者拒まず、去る者追わず。」
  • 多数決は、最も民主的な物事の決め方とされていますが、多数決が正解あるいは正しい意見とは限りません。仮に間違った意見でも、多数が同調すれば、たちまち“正論”に早変わりする危険を孕んでいるのです。


当たり前ですが、どのような意見を述べようとも、それは各個人の自由。
でも、その多数派の意見に対して、少数ながらも反感を覚えている、
私のようなひねくれ者もいる、という事だけは、ハッキリ述べておきたいと思います。