私のモーニング娘。にかける思い〜完全版〜
ついに、私が娘。武道館コンを観に行く日が、明日となりました。
しかも、娘。コンでは今年2度目の昼夜連続参戦です(笑)
そんな武道館コンサートを控えて、という訳ではないのですが、
昨日の日記で書き出しの部分を書いた、
今私がモーニング娘。にかける思いを、つらづらと書いてみました。
一応、時間を掛けて書いた文章ではあるのですが、
何となくまとまっていないような感じもします。
もし、訳の分からない文章になっていましたら、
その点はご容赦いただきたいと思います。
最近の日記では珍しく、かなりの長文となっていますので、
「続きを読む」で隠させていただく事にします。
興味がある方は、どうぞ「続きを読む」をクリックしてお読み下さい。
私が初めてモーニング娘。のコンサートを観に行ったのは、
今からもう5年半以上も前の2000年3月、千葉県市原市市民会館でのコンサートでした。
時期的には、前の年に『LOVEマシーン』が大ヒットし、
それに続くシングル『恋のダンスサイト』がリリースされた後になるでしょうか。
それまで、あまりコンサートやライブの類を観に行った事が無かった、というのもあるのですが、
このコンサートは、私にとっては様々な意味で、本当に衝撃的でした。
ステージ上のモーニング娘。から伝わってくるパワーと、客席を埋めるファンが発するパワー、
それらのパワーが合わさって、ホール内にとてつもないパワーが充満している、
少々オーバーかもしれませんが、当時の私はそんな印象を受けたのでした。
このコンサートが、私が娘。ファンの道に進むきっかけとなり、
以後、色々と脇道に逸れたりしつつも、今日に至っているわけですが、
正直に言いますと、その後の約4年間は、あまり熱い娘。ファンではなかったのです。
当時は、まだモーニング娘。が人気絶頂だった頃で、
2001年頃からコンサートのコンサートは、
さいたまスーパーアリーナや横浜アリーナといった、
いわゆるアリーナ級の会場を中心としたものに移行していったのですが、
それらの会場には、いわゆる“ヲタ”と呼ばれる方々だけではなく、
小さい子を初めとする一般のお客さんも来ていて、客席はほぼ満席になっていました。
ただ、コンサートでのステージと客席の一体感が好きな私にとっては、
それが生まれにくいアリーナ級の会場は、あまり好きではないというものありますし、
娘。にはまるきっかけが、ホール級会場の近い距離で見た彼女達だったので、
アリーナ級会場のステージに立つ彼女達が、
時にはとてつもなく遠い存在に感じてしまうこともあったのです。
そして何よりも、仮に私が足を運ばなくても、
これだけ大勢のお客さんが足を運んでくれるのだから、
自分が熱くならなくても・・・という、少々冷めた思いもありましたので、
2004年の春までは、コンサートに行くのは1ツアー1公演と決めていたほどですから。
もっとも、そんなアリーナ級会場でのコンサートも、
2003年頃からは結構自分なりに楽しめるようになってきたのですが。
そんな私の考えが変わり始めたのは、2004年春のコンサートの時でした。
それは、春ツアー最終日、さいたまスーパーアリーナでのコンサート。
しかしきっかけは、コンサートの本編ではなく、グッズ売り場で見たある光景でした。
この日は、既に娘。からの卒業が発表されていた、あいぼんとののちゃんにとっての、
最後の娘。単独コンサートの日でもあったのですが、
グッズ売り場の出口で少し観察してみると、
一般の女の子ファンが軒並み、あいぼんかののちゃんのソロうちわを手に持っているのです。
この時私が感じたこと、それは、
「この子たちはきっと、もう娘。のコンサートには来てくれないんだろうな・・・。」
ということでした。私が初めて目で見て体感した、娘。にとっての“今そこにある危機”。
コンサート自体は、これまでのアリーナ級コンサートの中では最高のものだったのですが、
コンサート開演前にグッズ売り場で感じた事が、少々気がかりでもあったのです。
そして、その気がかりを現実のものとして目撃する事になったのが、
2004年10月23日夜のグリーンドーム前橋でのコンサートでした。
かおりんの翌年(2005年)1月の娘。卒業が、既に発表されていた事もあり、
2004年の秋ツアーに、私はかなり気合いを入れて臨んでいました。
本来、この日の前橋が、私にとっての娘。秋ツアー最後の公演になるはずでした。
しかし、そんな日に発生したのが、あの新潟県中越地震。
大きな揺れを、開演前に2度と公演中に1度感じるという状況*1の中、
携帯電話が通じず、外部から情報が全く入手できなかったこともあり、
不安でとても、コンサートを楽しむ心境にはなれなかったのです。
そして、地震と共に衝撃的だったのが、客席のお客さんの入り具合でした。
2年前に同じ会場でコンサートを行った時とは、比べようもないほどお客さんが入っておらず、
スタンド席には人がまばらにしかいない、という惨憺たる光景が目の前に広がっていたのです。
この日の約半年前にさいたまで感じた“今そこにある危機”が現実になっていました。
各地の会場で空席が目立ったという話は、ちらほらと聞いていたのですが、
実際に目の当たりにすると、その光景はあまりにショックが大きい物でした。
そんな前橋でのコンサートが終わり、
私はそこで発生した、思わぬ問題の事後処理*2を日記を通じて行ったのです。
当時の現場に居合わせず、状況すらろくに知らない連中が、
情報のかけらだけを見て、ギャーギャー騒ぎ立てたり、
偉そうに批判的な日記や記事を書くのが、私にはとても容認できず、
「現場で起こった真実を知って貰いたい!」という思いがあったので。*3
事後処理が終わった後、色々な意味で疲れてしまった私ではあったのですが、
「かおりん最後の娘。単独コン、もう見納めで良いの?」という疑問が湧いてきたのです。
様々な意味で忌まわしい記憶しかない前橋を、私にとって最後の秋ツアーにはしたくない!
そして私は決断したのです。初めての遠征となる、滋賀での娘。秋ツアーファイナル行きを。*4
そう考えると、きっかけとしては最悪の出来事でしたが、
2004年10月の前橋でのコンサートが、私の娘。ファンキャリアにおける、
最初のターニングポイントだったと言えるのかもしれません。
大枚をはたいてまで行った、
滋賀・びわ湖ホールでの娘。2004年秋ツアーファイナル公演は、本当に最高でした。
アンコール時に3階席から掲げられた、娘。を労う横断幕に、
タンポポの『たんぽぽ』(オリジナルカラオケ)が流れるという粋な演出。*5
それまで、誰のツアーファイナル公演にも足を運んだ事が無く、
いわゆる“遠征”をしたことも無かったのですが、
「これだけ素晴らしい物を見られるのであれば、遠征をするのもたまには良いかも。」と、
それまで頑なに遠征を避けてきた私の方針は、この日を境に180度転換する事になるのでした。
言うなれば、この滋賀でのコンサートが、2度目のターニングポイント。
そして、今年1月25日。ついにかおりんが娘。を卒業していきました。
黄色→白に変化するサイリウムで彩られた客席の中に、私もいたのですが、
現役娘。メンバーと『夢の中』を歌うかおりんを遠くに見ながら*6、
私はついに、モーニング娘。の1つの時代が完全に終わった事を悟ったのでした。
一応、かおりん一推しとしてファンのキャリアを重ねてきた私にとって、
それまでの、市井さん・裕ちゃん・ごっちん・圭ちゃん・なっち・あいぼん・ののちゃんの卒業は、
それはそれで悲しく、それぞれが残念な出来事ではあったのですが、
かおりんがまだ娘。に留まっていたので、娘。ファンを離れることは想定すらしていませんでした。
しかし、ついに訪れた、一推しメンバーの卒業という出来事。
私は考えました。娘。を追うべきか、追わざるべきか。
推しメンバーが娘。を卒業するのと共に、ファン自身も娘。ファンを卒業してしまう、
そんな話を聞く度に、私は心の中で「裏切り者!」と叫ぶ一方で、
「仕方が無いかも・・・」と共感するという、非常に複雑な心境を抱いてきたものですが、
私もその当事者になって初めて、
娘。ファンを卒業してしまう人の気持ちが、ようやく分かった気がしたのです。
これから娘。のコンサートに足を運んでも、目当ての子は出てこないのですから。
でも、私がモーニング娘。の事を初めて知ったのは、
『ASAYAN』で時折見ていた、彼女達のメジャーデビューへ向けての奮闘ぶりで、
その中で私の目に止まったのが、当時高校生だったかおりんだったのです。
言うなれば、モーニング娘。ありきの、かおりんとの“出会い”だった訳で、*7
もっと言えば、モーニング娘。というグループの事が好きなんですよ。
そこで、私が出した結論は、かおりん卒業後もモーニング娘。を追い続ける、ということ。
そして、かおりんが愛したモーニング娘。を、彼女のファンとして代わりに見続ける、ということでした。
それに、前年の10月に前橋で“危機”を目の当たりにしたため、
そろそろ私のような“古株”も、いい加減熱くなって、娘。を盛り立てるべきだとも思いましたので。
初めて推しメンバーがいない状況で迎えた、今年春の娘。コンサートツアー。
しかし、その内容は正直に言うと、戸惑いを感じざるを得ないものでした。
特に戸惑いを覚えたのが、ミキティの『ロマンティック浮かれモード』、
というよりも、その曲に合わせて熱狂する、客席の妙に高いボルテージでした。
いくら今の娘。ファン構成が、どこかの政党のように、
特定メンバーを推す人の“寄り合い所帯”の状態になっているとはいえ、
この曲だけ、他の曲よりも盛り上がりが桁違いという状況に、
私は違和感を覚えざるにはいられなかったのです。
「仮にもモーニング娘。のコンサートに来ているのであれば、他の曲でももっと盛り上がれよ!」と。
そして、これはある程度覚悟をしていた事なのですが、
推しメンバーがいないと、不思議と「何かが足りない」気がしてしまうのです。
コンサートでも、盛り上がるべき所では盛り上がるのだけど、何かが足りない。
メンバー全員を万遍なく応援していても、メリハリが感じられず、何かが足りない。
初めは「その内、娘。の中の推しメンバーも、自然に決まるよ。」と考えていたのですが、
実際問題、一推しメンバーが卒業して間も無く、他の推しメンバーを見つける事は、
私にとっては、結構難しい事であり、自然に決まる事柄でも無かったのです。
初めて推しメンバーがいなくなったことで、
初めて娘。コンサートの中で感じた、戸惑いと一種の物足りなさ。
その足りない「何か」を、私は娘。OGメンバーに求めるようになっていました。
初めは行くかどうか悩んでいた、春の名古屋コンサートも、
当初は取っていなかった昼の部のチケットを手に入れてまで行く決め手になったのは、
「スペシャルゲスト」になっちとごっちんが登場することでしたし、*8
初めは行く予定が無かった、夏の代々木でのハロプロコンサートに、
最終日のチケットを入手して、急遽行く事にしたのは、
ぶっちゃけて言うと、娘。OGによる『LOVEマシーン』を見たかったからですので。
初めの方でも少し書きましたが、
初めてモーニング娘。のコンサートを観に行ったのは2000年のことで、
私のモーニング娘。熱が本格的に上がってきて(この表現は正しいのでしょうか?)、
モーニング娘。のコンサートを心の底から楽しめるようになったのは、2003年頃からでした。
そして2005年になった現在でも、モーニング娘。のコンサートに通い続けているわけですが、
回数は少ないにしても、これだけ長い間同じグループのコンサートに通い、
そのグループで頻繁にメンバーの卒業・加入が繰り返し行われると、
私がコンサートに通い始めた初期の頃、そして2003年頃からの楽しい記憶がどこかに残っていて、
2004年秋〜2005年春に、あまりに多くの事を見聞きし、経験してしまったこともあり、
その反動で、昔の思い出に浸りたい、という思いが、私の心の奥底にあるのかもしれません。
こういう人の事を、ネットの世界では“懐古厨”と呼ぶらしいですが、
以上で書いた事から判断すると、私も立派な“懐古厨”の1人なのかもしれません。
今、モーニング娘。の曲をコンサートで聴いて、多少の違和感を感じる事は確かにありますし、
まがりなりにも、これだけ長い間ファンを続けていると、昔と比較してしまうこともあります。
しかし、モーニング娘。のコンサートは、いつ行っても楽しいと思うのは、紛れもない事実ですし、
現在のメンバーのレベルも、OGに引けを取らない位に成長していると、私は感じます。
別に私も、昔の事を思い出さない訳ではありませんし、
モーニング娘。、と言うよりも、ハロプロ全体が直面している状況を、
それなりに把握はしているつもりです。*9
しかしですね、我々にはどうする事も出来ない部分も当然ながらありますが、
いくら過去を振り返り、古き良き時代を思い返してみても、もう後戻りは出来ないのです。
私は、モーニング娘。を追いかけて行くと宣言した以上、
たまに昔の思い出に浸る事はあっても、よく“懐古厨”の方の文章に見られがちな、
「昔は良かった」的な事は、この日記には極力書かないようにします。
それは、恐らく前進を続けていこうとしているであろう、
現在のモーニング娘。のメンバーに対して、何となく失礼な事だと思うからです。
そりゃあ、卒業したメンバーと現在のメンバーとでは、様々な面で違いはあるでしょうし、
ぶっちゃけて言えば、歌唱力等のレベルに差があると言われても仕方が無いとは思います。
でも、メンバーが完全に入れ替わってしまった現在でも、
各メンバーに“娘。スピリッツ”は確実に受け継がれていると、私は感じるのです。
かつての娘。にあった“競争意識”は、やや薄れているような感じもしますが、*10
コンサートのステージ上で、熱いパフォーマンスを見せるという精神は、きっと変わっていないはず。
モーニング娘。のメンバーが“娘。スピリッツ”を見せ続けてくれる限り、
私はきっと、モーニング娘。を応援し続けていくことでしょう。
メンバーと一緒に応援を卒業するファンがいたり、他のグループに転向するファンがいる一方で、
私のように、頑固にモーニング娘。を応援するファンが、1人ぐらいいても良いではありませんか。
以上、あまりまとまっていない長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
*1:新潟県中越地方で、震度6強の地震を観測したタイミング。
*2:詳しくは、2004年10月23日〜11月4日辺りの日記をご参照下さい。
*3:事実、週刊新潮は、ネットの書き込み類だけを“ネタ元”とし、デーブ・スペクターさんと梨元勝さんのインタビューを付け加えただけで、真実と嘘がごちゃまぜになった粗悪な記事を堂々と掲載していた。どのツラさげて朝○新聞批判をしているのやら・・・。
*4:当時の心境は、2004年11月20日の日記をご参照下さい。
*5:実は開演前から『たんぽぽ』が流れたり、開演直前に1stアルバムの1曲目『Good Morning』が流れるなどの演出がありました。
*6:アリーナ席後方で観ていました。
*7:今は恐らく、○○さんがいるからモーニング娘。を見る、という方が多いのでしょうが。
*8:実際は、この2人の出番はさほどありませんでしたが。
*9:現在の音楽業界自体、曲の良さだけでの評価ではなく、何かの“付録”として大きな評価を得るなど、何かおかしいと思う事も多々あるのですが・・・それはまた機会があったら書かせていただきます。
*10:彼女達を取り巻く状況の変化や、周囲の環境整備が足りない、という要因もありますが。