Carry On my way ~The Other Side of "note"~

主に女性アイドルの事を超不定期に徒然なるままに記すブログ

今回の“卒業”について、まとめてみました。

※以下の文章は、携帯のメールで数回に分けて送った文章を、ほぼそのままつなげたもの+後からPC上で書き足したものです。
 可能な限り体裁は整えましたが、一部意味不明な部分があるかもしれませんので、ご容赦ください。


私にとっては衝撃だった、かおりん梨華ちゃんが来年相次いで卒業する、という昨日の知らせ。
小学校でも中学校でも、「卒業」というのは別れの儀式であると共に、新たなる一歩を踏み出すためのスタートラインなんですよね。
それは、モーニング娘。においても同じことである筈で、本当は思いっきり「おめでとう!」と言うべきなのかもしれません。
でも、今はなぜか「おめでとう」と、心から言える気分になれないのです。特にかおりんには。
これまで私は、卒業していったメンバーを、祝福する、そして、それまでの活躍に対して感謝するという姿勢を貫いてきました。
(今だから白状しますが、なっちの卒業の時も「おめでとう!」と何度も張り叫んでいました。)
ネット上ではネガティブな意見や冷めた意見が簡単に見つかりますが、
それは、多少なりとも卒業を前向きに捉えている、あるいは捉えようとしている「卒業生」に対して失礼だと、私は思うのです。
ですが、今回のかおりんの卒業発表に、現段階では心から「おめでとう」という言葉をかける心境になれない私がいます。
決して、卒業に反対というわけではなく、事務所のことや戦略のことをとやかく言いたいわけでもなく、
つんく氏の発表コメントにある「個性を磨くため」の卒業であるということを、馬鹿と言われようとも素直に受け入れようと思っています。
かおりんだったら、きっと、その期待に応えてくれるでしょうし、今よりもっと素敵な女性になって行くでしょうから。

それなのに、心に何かが引っ掛かるという、これまでにない、おおいに矛盾した心境。
これが、一推しメンバーの卒業が決まった時のファンの心境、というものなのでしょうか。
喜びや祝福と同居するその心境というのは、疑問でも怒りでもなく、寂しさ。
私がこれまでの「卒業生」に対して、この心境になる度合いが低かったのは、きっと彼女達が一推しメンバーではなかったから、なのでしょう。

これまで一度でも一推しメンバーの卒業を経験したファンの方は、

もしかすると、今の私と似たような心境になったことがあるのかもしれませんし、
今頃、梨華ちゃん推しの方の中にも、こんな心境になっている方がいるのかもしれません。

私は、かおりんが一推しメンバーですが、それ以前に、私はモーニング娘。というグループのことが好きです。
ただ、一推しメンバーの卒業という、今まで経験したことがない出来事に直面すると、
飯田圭織という女性がいなくなったモーニング娘。を、来年1月を過ぎてもこれまで通りに応援出きるかどうか、正直分かりません。
でも、たぶん、1月を過ぎても、モーニング娘。を応援し続けているんでしょうね、私は。
オリジナルメンバーはいなくなりますが、きっと、娘。の「心」をかおりん梨華ちゃんが残してくれるでしょうし、

新たにリーダーとなる真里っぺが教え続けてくれるでしょうから。


本当は、この機会に改めてモーニング娘。のことについて、もう少し書いてみたいのですが、
時間も時間なので、また別の機会に改めて書かせていただきます。


最後になりますが、こんな文章を書く私を“偽善者”だとか“いい人ぶっている”と、いくらでも思っていただいて構いません。
私は単純に、事あるごとに事務所批判を繰り返したり、「モーニング娘。は終わりだ」などと、
ネガティブな事(それを通り越して悪意を持った事)を言ったり書いたりする“自称ファン”の存在が嫌なだけですから。